筆もじスト 小林佳織 かおりんのブログ

あなたや写真から感じた事が私の手を躍らせます。ことばを書くのも子どもたちとあそぶのも私にとって大事なこと。筆を通して表れることばはただ一つのもの。

筆もじスト 小林佳織のプロフィール 19才〜

大学時代

浪人時代に見ていた大学生活は

遊び、バイト、サークル

の三本柱。それでも悠々と就職していた先輩たちのようになれると信じていた。

自分が興味を持ったサイクリングサークルよりも

仲良くなった人たちに付和雷同して

オールシーズンサークルへ。

夏休みには家庭教師から塾講師と

初めて買った化粧品の代金のために

バイトに明け暮れる

秋キャストとしてTDLのキャストになる

面接時

「パークいちこのコスチュームが似合いますよ」

と言われ、行ってみたら今はなき

キッコーマンの総柄ムームーを着ることに。

ポリネシアンテラスで

頭にハイビスカスをつけて従事

三年半勤めている間

日本人に英語で

「アーユージャパニーズ?」と聞かれたことも。

ディナーショーのクローズ要員だったため

いつしか車出勤

仲間と夜中まで喋ったり送迎したり。

並行して総務省主催東南アジア青年の船の

受け入れスタッフとなり、オリセンへ通う。

冬はスキーに打ち込むも

ガツガツ滑る女の子は受け入れられず

スキーサークルに移籍

二年時からは冬は山籠りするようになる。

三年、四年の頃は木曽郡木祖村藪原スキー場に入り浸る。SAJ一級に一点足りず、二級で学生時代終了。

当時は年間30日やぶはらで滑ってました。

カービングスキーが出るちょっと前の時代。

 

四年時には世間でバブルがはじけ、

アルバイト雑誌は四分の一の厚さに。

就職氷河期第一波として苦戦

紆余曲折を経て学校法人白金幼稚園に

ご縁をいただく。採用決定の会話は

当時93歳の園長の

「やる気はあんのかい?」のみ。

 

教育実習ではそれまで学校に通ったのと

同じぐらいの時間を実習中に過ごす。

「とにかく子どもの味方なんだよ、先生は」

という担当教官の言葉は今も忘れられない。

 

学生時代に貯めたお金で

アメリカ西海岸へ現地のバスツアーで参加

グリンデルワルドへ両親とスキー

と充実した卒業旅行を敢行

 

白金幼稚園では同期が5人というバブル状態。

中でも私は幼稚園の実習もやっていない。

体当たりで保育を始める。基本は真似から。

充実した時間を過ごしつつ

夏休みには

世界青年の村in東京実施のボランティアで

一週間ほぼ完徹してデータ整理に打ち込み

翌年の青年の村in盛岡では初めて参加者になる。

この時に、企画する方が面白いことを再確認。

人生で最大のモテ期だったのがこの頃

人生唯一手にしたラブレターは

トンガ王国の方よりエアメール

かの国では私は相当スリムだったらしい。

英語力のない私はそのままスルー。

 

友人と学生時代に訪れた北海道に魅せられ

働いてからは一人で道東を一週間ほど回る。

ヒッチハイク有り、相部屋の宿に泊まる。

この頃には旅行に二人で行くと

険悪になるのが定石だったため

一人旅を好むようになった。

 

大学二年の頃から兄に引きずられて

横浜のサンバチームに参加

1番大きな太鼓を叩いていた。

そこで仲間だったのが現在もいる主人。

 

27歳で浅草神社にて白無垢角隠しで挙式

披露宴は母が結婚式の時に着た振袖を着る。

サンバの仲間や友人とのパーティは

一軒家を借り切って行う。

ドレスは姑のハンドメイド

主人の背広は父が制作。

 

そんなこんなでとりあえずここまでー

 

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そういえば今日は主人の誕生日ー