大人です。
もっと限定するならば
子どもを取り巻く大人=親
でも
誰も狭くしてるなんて思ってない。
むしろ
子どもの可能性を広げてやりたい
やりたいことをやらせてあげたい
自由に意欲的に取り組む子になって欲しい
そう思ってる方がほとんどです。
だって我が子のこと
そう思うのは当然。
だのに狭くしちゃってますよ。
雨上がりの水たまり
ちょっとした段差
濡れた葉っぱやどんぐり
それをみた子どもを止めてませんか?
汚いから→洗うのが増える
怪我をするかも知れないから
→怪我をさせた責任が増える
汚れているから→後が面倒
大人が嫌なんです。
でもそこにある子どもの意欲は
踏み潰されます。
それが重なれば
いうことを聞く子どもが出来上がります。
そこまできてから
自分で考えられる子になってほしい
って思い始めるんです。
無理です。
だって子どもたちは
安全確保の手段として
大人が機嫌良くいられるように
言われたことだけやってたんですから。
ただね
人の発達として
何度かは自我を主張する時期が
やってきます。
その時に
こちらの要望が
誰にとっての理由なのか
よくよく考えてみることを
お勧めします。
そして
大人のできる事は大してないのに
子どもの力はあるんです。
ものすごいパワーで。
だからそこを信じて欲しい
そう思います。
こんな感じでいいのかも