「育てる」とひとくちに言っても
子育てだけじゃなくて
職場だったり、自分だったりするけど
人を育てるのに必要な事って
「みて 考えて やってみる」なんだなあ。
昨日受講してきた
「ふんわりすくすく赤ちゃん講座」
自分が産むわけでもないし
最近は小さい子向けの支援をするチャンスがあるわけでもない。
お母さんたちと出会うこともなくなったけど
発達と体の認識の部分を
改めて知りたかった。
放課後等デイサービスに勤めて一年半を過ぎ
彼らの身体の発達(もちろん定型の子達もですが)の
不自然さと認識の差がどう連動してるのか。
何よりどの子も今より豊かな暮らし、
経験を増やして行きやすくなっていくには
どうしたらいいんだろうと思ってきたです。
この場合の「豊か」は「あらゆる可能性につながることのできる状態」と私は位置付けてるんですけどね。
講座の中で繰り返し講師の先生がおっしゃっていたのが
「様子を見て=観察」
でした。
寝返りにしても
腰から 頭から 手から 体全体からと
その子のモチベーションのよって様々
でも様々なことを知っていれば
いずれ行き着く状態を思い描いて待てる
今 必要な手助けも見えてくる。
このことは
発達障害カウンセラーであるこばねえの
グループワークでも繰り返されていきます。
こばねえのブログはこちら
私が勤務していた幼稚園でも
「子どもが どんなつもりで 何をしているのかが大事」と
繰り返し指摘され、
いわゆる
「子どもはこんなもん」
の枠をバキバキ外されたものです。
昨日の講座を受けていたら
改めて今までの根底にあったのが
「観る」だったと再認識
まあ子育てが
割と普遍的で
割と多くの時間を割かれることがあって
割と困ることが多い から
教科書的な見本が欲しくなったりするのはよくわかる。目安としては大事な情報
でも実際付き合う子どもなり大人なりを目の前にしたら、できることはこれしかないのかも。
理屈と現実とがうまく連動していったら
楽チンにすごせるんじゃないかなあ。
悩みたい人はそれでいいけどね。
そういう時期もあるし、それはそれだから。
でももし苦しかったり、辛かったりするなら
そこにぽちっと見える
きっかけになれたらいいなあって思うわけです。
ではでは。