筆もじスト 小林佳織 かおりんのブログ

あなたや写真から感じた事が私の手を躍らせます。ことばを書くのも子どもたちとあそぶのも私にとって大事なこと。筆を通して表れることばはただ一つのもの。

あそびは世界共有言語

NPO佐倉こどもステーションで

私は子どもが子どもでいられる場を作ってます。

年に一度のこどもまつり

ここ数年は

小さい子でも安心して遊べる場のひとつとして

山武杉の積み木であそんでます。

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今年はダウン症のお子さんが遊びに来てくれました。

私は特にその分野の勉強はしていませんが

「その子がなんのつもりで何をしているのか」

「子どものやりたいあそびを確保する」

のが大前提

 

その場でどうあそんでいくのかを

みていました。

そりゃね、魅力的な他の子のを

さわる→壊れるんです。

でもこれはきっと興味があるんだろうなあと

思ったので、一緒にあそんでみた。

うん やっぱりそうだ。

彼はひとしきり積み木を放って落ちる音を楽しんだ後、急に同じ積み木を並べだしました。

ここまでの時間は相当かかっていて

途中お父さんが帰ろうと促すものの

物を投げて応戦。

遊びたいんだねー。

 

そんな時間を過ごしていたら

最初遠巻きに壊されないようにあそんでいた

低学年と幼児の兄妹が

「入れて!」と入って来たんです。

 

いやー、あそびってすごい。

言葉じゃなくても

やってることで伝わる

面白そう!って感じたら

同じ時間を過ごしていける。

 

もしかしたら

「区別」して

お互いが嫌な気持ちにならない(と思い込んで)

ようにしてるのは

大人のエゴなのかもしれません。

彼らの

「面白そう!」な目の輝きに

自分の先入観を見せつけられた訳です。

 

そんな事を思ったころしったこちらの写真展

最終日に行けるかな

素敵な写真展です。ぜひ。

 

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フォトグラファー 宮本直孝 × アクセプションズ
「母の日 – I’m a mother of a child with down syndrome」

場所:東京メトロ 表参道駅コンコース(ADウォール・B1出口付近)
会期:5月8日(月)~14日(日)
※オープンスペースのため観覧無料

 

子育て保護が子育てをダメにする

子どもの育ちに関わり続けて来ました。

最初は幼稚園教諭として

途中から自分の子育て

並行して地域の子育て

 

いろんな人も子どももいます

考え方も様々

 

子育てして来て大変だったーって思った人たちが

自分たちのできることを

ひとつづつしていって

今、子育て支援の概念も手も

広がってます。

でも

でもね

 

支援と保護って

違うんじゃない?

 

大変なところを助けるって

やってあげる

と違うよね。

今目の前で自分のやったことの積み重なった結果が

 

当事者が自分の力で立てる事

 

になって欲しいわけ。

これは途上国支援や

勉強などなど

人を育てる上で気をつけなきゃいけないこと。

もちろん子育てでも。

 

お母さん(に限らないけど)の大変さを

取り除いて保護してばかりいたら

やってもらって当たり前

助けてもらって当たり前

になりはしないか?

自分を変えていくのは

自分にしかできないの。

ましてや自分の子どもは

自分の思うように

育ってく。

 

てことは

やってもらってるようにしか

自分でできなくなるよ?

そうしたらもれなく

子どもは自分の足で立てるようにはならない。

その結果だけ見て

なんでできないの!?

って言ったって

そうして来た結果なんだよ。

これはいい悪いの話じゃない。

家庭それぞれの事情で必然だから。

 

もしそこが困るなー

とか、こうしていきたい

って思ったら

自分で考えて、やってみればいい。

できない=×

じゃないことだけは覚えててね。

 

自分の未来は

自分で変えられる。

腹くくって

やっていこう。

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かさこ塾に入ってあぶり出された三つのこと

ちょうど去年の今頃

東京27期で受講したかさこ塾、

当時は500人くらいだった。

それがほぼ一年で

1002人(東京51期)突破!

 

実はこの夜の回に友人が参加しています。

何しろ直接かさこ塾を勧めない私なのに

興味を持って

しかも塾生にまで歩を進めたとは。

影響力、浸透力は加速するばかり。

 

いろんな人が突破ブログ書いてる中

耳目を引くように狙ったところで

結局そんなに目は引きませんから

粛々と書くだけ。

 

かさこさんのブログで最初にへへーって思ったのが

初期のメンバーの方々への名刺添削。

なんか自分で名刺なんて作る予定もないけど

ちょっとやってみたいな

そんな動機。

好きを見つけなきゃいけない症候群でもあったしね。

 

で、入って私の中であぶり出されたこと三つ

 

1、ここのとここうすれば分かりやすいのに

という視点を自然と持つようになった

  といっても自分のことは霧の中なとこもあるけど

  読みたくなるポイントがわかるようになった。

 

2、やる自分、やらない自分双方を自分だと思えるようになった。

やることばかりが賞賛されているように見えるかもですが、やるもやらぬも自分だということを骨の髄までしみてます。かといってやらない=❌じゃないですよ。それもありと思えるのがポイントです。

 

3、自分の気持ちを振り返り、感じることに抵抗が減ってきた。

ここ、厄介なんですよ。私にように取り繕ってそこそこうまく立ち回っちゃえる人間にとって。

気持ちすらコントロールする事に長けてるので、

好き、とか嫌、とかを感じることから逃げてますからね。まだまだ道半ばですけど少しずつ、です。

 

結局自分自身と向き合うきっかけをくれるだけのかさこ塾。

ミーハーな気分で飛び込んだ私でも

私なりの変革が起きてます。

どんな事にも言えるけど

何事も変えられない。

変わることはできる

答えは自分の中にある

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そういうことです。

 

このセルフマガジン

近々増刷します。

広島のフェスタでも置かせていただく予定です。

お手元に欲しい方はもちょっとお待ちくださいませ 

 

 

 

 

3、4才児で順番がわかっているのは3割(当社比)

今日のMaco塾

年中(4歳児)になったばかりの子が

一旦列を離れて戻った時に

詰められてるのをみて

すっと後ろに回りました。

これはものすごい進歩!

「列離れちゃったもんね。並んでたら順番回って来るから大丈夫ってわかってるんだね」

と本人の行動を

言葉で紐つけする事で

自分の行動の意味づけが進んでいきます。

 

この進歩を感じるには

3歳から4歳の子にとって

本当の意味で

「順番」を理解しているのは3割(当社比)

ということを知っているから。

 

本当の意味ってどういうことか。

 

並んだ時に生じる

「優先権」を理解しているかどうか。

腑に落ちているかどうか、とも言えます。

 

つまり並んでいてその場を離れます。

はい、その時点で並んでいる権利は消失します。

戻ってきたら後ろに並び直すのが道理ですね

 

子どもにとっては

並んだ時に認識できるのは

よくて前の子

ほとんどは目標物しかみていません。

そういう状態から

様々な経験を通して

順番を理解していくのですが

あいにく

「順番よ」という言葉を記号としてしか

理解していない事が多数あります。

当たり前です。

自分の前の子しかわからない子が

列、複数の人数を理解することはできませんから。

 

だからそこに大人の交通整理が必要になるんです。

今まだれの後ろにいるの?

前は誰だった?

離れたら順番は来ないよ

等々

一度や二度でわかるはずはなく

何度もなんども繰り返し

理解できた時に

認めていく

この積み重ねが

今回の進歩への道のりだったわけです。

 

大人の当たり前も

こうやって子どもの頃から積んできた結果。

なんでこんななの!

って思ったら

そこにいくまでにどんな道を進んでいくのか

そのためにどういう気づきがあればいいのか

そんなことを思ってみると

子どもといる時間もまた一興です。

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蕗の筋取りに真剣な眼差し

これも指先の練習にぴったり

 

 

 

 

 

いいかげん欲しいものを欲しいって言ってみろ

欲しいものって

ものだけじゃない。

自分に対する想い 気持ち

これは案外厄介で

こじらせるとめんどくさい。

 

謙虚が美徳とされてきた時代に育った私は

「自分の欲しいものを言わない、

できることを隠す」

事が謙虚だと認識してた。

でも違うんだよね。

だってね

すごいねって言われると

「そんなそんな、とんでもない」

って言ってるくせに

心のどっかで

「すごいって言われたい」

って気持ちがくすぶってる。

だったらさ

言っちゃえばいいのに

言いたいんでしょ

いつまで気づいてもらうの待ってるんだよ。

それで

わかってもらえないって

落ち込むの

いい加減にやめよ。

どこまでも限りなく高いプライドを

隠すふりして

しこたま気にかけてもらいたい

つまらん茶番

 

茶番って気づくのも

自分の欲しい言葉を自覚するのも

怖いんだよね。

だから見ないことにする。

 

たださ

もう無理だ。

見ないふりはなにも生まれないから。

自分の感じる怖さと

今少し挨拶してみようか。

大丈夫

思ったほど悪くないからさ、きっと

 

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心のオアシス たいすけ

 

面倒なことを避けた結果に文句言うな

自治会、 PTA 、役員などなど

人が集って住まうと言うことは

避けて通れない人との関わり

 

最近は孤立が進んでると

騒ぎ立てられるけれど

 

当たり前

 

だって嫌だったんだもの。

人と関わって

干渉されて

時には監視されてるような気にもなって。

冗談じゃない

関わらなくたって生きていける

  確かに

自分のことは自分でケツ拭けばいい

 そりゃそうだ

 

という論理で進んで来た結果が今

 

ふと見回してみたら

孤立した孤育て

老老介護

果ては孤独死

 

ようやく人に関わりは必要だったかも

と言う側面に目が向けられてる。

でもね

結局

あれこれ面倒は嫌だなあ

が本音なの

 

その本音が

現れてるのがうちに近い開発された住宅街

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ちょっと明るめになってるけど

街灯 ありません。

100戸近くの住宅が立ち並ぶのに

あるのは個人宅の門灯

結構不気味。

 

通常自治会主体で設置するようですが

しがらみが嫌でここの地区に来た人もいるから

自治体ができる見通しはなさそうです。

住んでる方の要望はあるようですが

面倒はしたくない。

 

やりたくないなら

文句言うな

要望を通すのなら相応の関わりは呑み込めよ。

ただそれだけです。

 

あくまでも個人的な感想です。

人間関係のしんどさを

軽くみてるわけではないことを

ご理解願います。

 

 

 

レゴランド東京の楽しみ方 B面

まずは善意のフィルターがっつりレポート

お届けしました。

しかし、しかしですよ。

書いててちっとも面白くない。

 

というわけで

セキララ袈裟斬りレポートも

合わせてお届けします。

 

 

レゴランド東京に着くと

いたるところに

「割引」が目につきます

あーあ、作っちゃったから

抱き合わせちゃったらうっかり割引に引っかかる人がいると思われてる感満載な仕掛け。

蝋人形館なんて

付き合い出してなんでも薔薇色に見える時代にうっかり行くようなもんでしょ。

 

時間指定だからと

大人気感を醸し出してるのかと思いきや

指定30分前には入れてくれました。

ラッキーだったものの

平等感は消失。

中はレゴ好きにはたまらない世界。

レゴマスターが教えてくれるWSに

色めき立つお母さんたち

しかし入ってみれば

マスターはレゴでできた等身大パネル

いるときはいつなんだろな。

今回作ったものも

作り方はオリジナルだそうだけど

レゴの本質って

見本通りに作ることじゃなく

どんなものを作ってもいいと

思ってるうちの子は

作り方指定された時点で興醒め。

他のアトラクションも

レゴ大好きにはたまらない空間

それにしても

お父さんとお母さんの熱量の差がありすぎ

小さい子向けの内容になってるけど

レゴ自体を存分に楽しめるのは

空間認知や構成力が付いてくる

6歳以降じゃないのかな。

ここのターゲットであろう

3、4、5歳はちょっとした刺激がなければ

あっという間に飽きるはず。

お父さんは自分が楽しくなってるから

子どもも楽しそうだけど

みるからに時間を潰してる感満載のお母さん群

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これじゃあ面白いはずないっす。

 

車のコースがあるコーナーは

通りかかった私がちょっと言葉かけるだけで

子どもの目が光るんだから

あそこには遊びのリーダーがいたら

相当面白くなりそうなのにね。

その視点を持つ人がいたらいい。

 

最後に

飲食持ち込みできず、

中にカフェと銘打ったお店はあるけど

お昼にはほぼ完売

お腹空いたら外で食べればいいのかと思いつつ

再入場はできないシステム

どこまでもお金を落とさせようとするなら

落としたいような

ラインナップにしていただきたいもんです。