筆もじスト 小林佳織 かおりんのブログ

あなたや写真から感じた事が私の手を躍らせます。ことばを書くのも子どもたちとあそぶのも私にとって大事なこと。筆を通して表れることばはただ一つのもの。

100人と交流する場で実感!超絶自虐女克服報告

はい、ついに克服したのです。

自虐ネタにまみれる自分から。

 

デブ

顔がでかい

女らしくしない

ガサツ

力自慢

 

長いこと長いこと

これらをネタに笑ってきました。

なんでかって?

 

嫌われたくないから

 

ただそれだけ。

 

自分から落としておけばダメージは少ない、確実に。

周りもそのように扱ってくるから

自分も楽ちん。

いつしか

楽=自分を粗末に扱う

になっていたんですね。

 

長いことそんなでしたから

巷に流れる

自分を大切に

好きなことをしよう

自信を持って

なんて言葉は

つらいだけ。

というより

理解するところまで行けませんでした。

 

で、そんなことしていながら

他の人のやってることが

羨ましくて羨ましくて

心の中は真っ黒け

私ならもっとできるのに

そんなこと知ってるよ等々

やってもないくせにね。

 

そんな私が

克服したと実感できたのが

 

かさこ塾 大交流会

 

100人余りの人たちが

大会議室に集まり

互いの活動をメインに交流をする。

そもそも

「好きを仕事に」を目的に集まった人たちだからこそ、目的意識ははっきりしてる。

講座の中で他者目線、セルフブランディングの視点を少なからず身につけているから

つまらないくだらない自慢話もありません。

それでも

今までの私だったら

いちいち反応してたのだと思うのです。

 

なんでそれがなくなったのか

 

考えられることは

たったひとつ

 

自分の行動を認めてもらえる場だから

 

これにつきます。

どの方も

相手の活動に敬意を示し

興味を持つ

それはとてつもなく

自信のない私にとっては心強い。

そしてそれを受け取らないことは

相手に対して失礼なこと。

そういったことも

かさこ塾での出会いの中で教えられたことの一つです。

そしてそんな大勢の中で

楽しめるようになった私。

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100人超えても大丈夫!になるまでにやれること

100人を超える人達と

いっぺんに会うとしたら

壁の花になるか

話題の中心になるか

二者一択と思っていませんか?

 

今日行われた

かさこ塾大交流会

どこまでもシンプル

会場設定

食べ物・飲み物

余興・司会進行

全てなし

斬新な形でしょ。

それもこれも

「交流する」

という目的がはっきりしてるからできる。

 

でそんな場で4時間

どうやったら自分を出しつつ交流できるのか?

名刺やセルフマガジンは言わずもがなですが

私がやったことはただひとつ

 

プロフィール写真と同じ服を着る

 

でした。

基本ですね。

事前に公開していればなお良いです。

 

あとは

しゃべる!

声をかける!

そして

話を聞く。

数稽古しかありません。

幸いかさこ塾に集う方々は

そんな姿勢は標準搭載してますので

ご心配なく。

 

このようなことが比較的効果的に発揮されるのは

日頃からの発信が欠かせないのは

言うまでもありません。

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今回はひっそりと

筆もじグラフィやらせてもらいましたー。

 

 

 

今必要だったのは向こうの世界からのメッセージ

ミディアムシップである

奄海るかさんの

公開ミディアムシップリーディングに参加することができました。

 

向こうの世界から

メッセージを伝えたい方がるかさんを通して来てくれて、メッセージを届ける、というものでした。

参加されたどの方になるかはわからない

ということでした。

 

義母が身罷ってから3年

少しずつ

結婚してから同居した16年の間に起きたことを

事実として受け入れられるようになってきました。

だからこのタイミングで参加しようと

思うことができました。

私には時間が必要だったから。

 

メッセージは来ないかもなあと

思いつつ

他の方の話を聞かせていただきました。

どの方も

こちらの人に心配しないでね

という気持ちにあふれていました。

私といえば

もしメッセージがあるとしたら

何言われちゃうのかなと思うと

なくてもいいなあ

と思っていました。

 

でもね

やっぱり来てくれていました。

亡くなったのは70代だけど

見た目は40代って

これ聞いただけできっとおかあさんだなあって思ったらその通り。

 

お義母さんからのメッセージは

「感謝」でした。

あぁ、よかった。

生前言葉では聞いていたけれど

それ以上に要求されることの多かった生活では

その言葉を信じることができない私がいたのは事実でした。

「私が色々と決めてきつくしてしまったから

  好きなことを好きなようにやっていいんだよ」

こんな事、信じられなかった。

好きなことをするもんじゃないって言われ続けてきたからね。

そに反動からか、お義母さんがいなくなってから

自由な時間を得た私は

行動範囲が広がりました。

でも心のどこかに罪悪感のような

うしろ指を指されるようなそんな気持ちから逃れられませんでした。

きっとお義母さんだったらこう言うだろうな

こんなことしてたら怒られるよなって。

もういいんじゃないって

いろんな人に言われてきたけれど

ずっとずっと引っかかってきたのです。

それがすーっと融けた。

ほわっとした緩やかな空気が私を包んだんだ。

あぁ、あの年月の持つ意味があったんだって。

 

今思うとお義母さんにこう言われたしって言うのは

ただ人のせいにしてただけだったのかもしれない。

自分で自分を生きるのを投げてたんだ。

 

今回はっきりとメッセージを受け取ったのは

しっかり自分の事を自分ごとにしろって事なんだな。もう逃げるなってね。

 

でも本当に今の私に必要だったメッセージ

まだ気持ちがふわふわしててまとまらないけれど

ようやく自分の足で歩け出せそうな

そんな感じでいっぱい。

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筆もじスト 小林佳織のプロフィール 27歳〜今

もういい加減いいだろう、このシリーズ

こっから約20年は割とボリュームダウン

ですのでご安心を。

 

結婚後

新婚旅行はオーロラを見たい一心で

フィンランドへ。

北欧ブームのくる数年前。

氷点下3度という暖冬のため

オーロラをみられたのは数秒だったのは

次回への期待を残す事に。

 

婚家へそのまま入る形で結婚生活スタート

それぞれの家族がなにがしかの

ストレスを抱えたまま過ごす新生活は

異文化コミュニケーションの連続。

そりゃあ摩擦もおきますが

今となっては思い出話。

 

2002年に長男出産のため退職

幼稚園時代はやはり語ると長いので

充実した日々だったという事で。

紛れもなく私の核となるものを作った時代であり

子どもに限らず人との関わり方

自分の在り方の再構築となった7年間でした。

 

出産と同時に専業主婦に

お義母さんは結婚時から身体が弱く

持病をいくつか抱えていたので

子育てと看護が同時進行となる。

2005年に長女

2007年に次男を出産

次男がお腹にいるときに地鎮祭

一歳前に新築プラス引越しという

今思うと怒涛のスケジュール

生まれて初めて1年間に3回胃腸炎になり

点滴を受けたのは

2008年冬に引っ越してからあとのこと。

 

ここから数年は

引越しの始末と看護と子育ての三本立て

朝が来ても

1日の終わりなのか

始まりなのかわからないというぐらいの状況

 

その間にも

お義母さんの透析が始まり、

通院のスケジュールを中心に生活が回る。

結婚後は

家の食事があるので

出先のリミットは千葉県内

おかげで子どもたちは

帰りを促されれば

例えTDLであろうと15時には帰るように。

これぞまさに習慣。

 

その間にも

子ども達はすくすく育ち

私が子ども中心に時間を使えないぶん

地域のNPOに所属し

子ども主体のコミュニティで育っていきました。

 

2011年 胃腸炎と診断されて堪えていたら

まさかの腹膜炎で緊急手術

2013年  直腸がん

2014年 瘢痕ヘルニア

とこの数年でお腹を三回切ることに。

幸い予後は順調です。

 

2014年春にお義母さんが身罷り

そこから役目のない自分に

価値がないんじゃないかと

右往左往し始める。

 

数々の今までやれなかったことをやり始め

心理学、クラニオセイクラルセラピー

個性筆、かさこ塾に出会うことになる。

 

現在は

筆もじストとしての活動

(特)佐倉こどもステーションにおける

子どもの育つ場づくり

白金幼稚園の旧職員同士で始めた

生きる力をつける料理教室 Maco ' 塾

もちろん子ども達の

学校関連行事(PTAとか子ども会)も

並行しつつ暮らしております。

 

あー長かった。

こんな道を歩いてきたおかげで

病院のかかり方やら

同居のコツやら

行政の手続きやら葬儀の手はずやら

不登校対応やら

なんやらかんやら

一通り対処法は身についたと思います。

円形脱毛症にもなったしね。

この数年学んだカウンセリングに関しては

様々な場面で助けになってる今。

ここまでやってきたことが

私を作ってきたのは

間違いのないところで

そんなことがもしお役に立てるのだったら

いくらでもお話できます。

ぜひお声かけください。

 

というわけで

この後どんな人生を歩いていくかは

私が作っていく。

未来は今が作ってるんだよって

るかさんに言われたように

未来を作るために歩いていきます。

 

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2017 浅草サンバカーニバルにて

初めて家族5人で写真が撮れました。

いつもありがとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筆もじスト 小林佳織のプロフィール 19才〜

大学時代

浪人時代に見ていた大学生活は

遊び、バイト、サークル

の三本柱。それでも悠々と就職していた先輩たちのようになれると信じていた。

自分が興味を持ったサイクリングサークルよりも

仲良くなった人たちに付和雷同して

オールシーズンサークルへ。

夏休みには家庭教師から塾講師と

初めて買った化粧品の代金のために

バイトに明け暮れる

秋キャストとしてTDLのキャストになる

面接時

「パークいちこのコスチュームが似合いますよ」

と言われ、行ってみたら今はなき

キッコーマンの総柄ムームーを着ることに。

ポリネシアンテラスで

頭にハイビスカスをつけて従事

三年半勤めている間

日本人に英語で

「アーユージャパニーズ?」と聞かれたことも。

ディナーショーのクローズ要員だったため

いつしか車出勤

仲間と夜中まで喋ったり送迎したり。

並行して総務省主催東南アジア青年の船の

受け入れスタッフとなり、オリセンへ通う。

冬はスキーに打ち込むも

ガツガツ滑る女の子は受け入れられず

スキーサークルに移籍

二年時からは冬は山籠りするようになる。

三年、四年の頃は木曽郡木祖村藪原スキー場に入り浸る。SAJ一級に一点足りず、二級で学生時代終了。

当時は年間30日やぶはらで滑ってました。

カービングスキーが出るちょっと前の時代。

 

四年時には世間でバブルがはじけ、

アルバイト雑誌は四分の一の厚さに。

就職氷河期第一波として苦戦

紆余曲折を経て学校法人白金幼稚園に

ご縁をいただく。採用決定の会話は

当時93歳の園長の

「やる気はあんのかい?」のみ。

 

教育実習ではそれまで学校に通ったのと

同じぐらいの時間を実習中に過ごす。

「とにかく子どもの味方なんだよ、先生は」

という担当教官の言葉は今も忘れられない。

 

学生時代に貯めたお金で

アメリカ西海岸へ現地のバスツアーで参加

グリンデルワルドへ両親とスキー

と充実した卒業旅行を敢行

 

白金幼稚園では同期が5人というバブル状態。

中でも私は幼稚園の実習もやっていない。

体当たりで保育を始める。基本は真似から。

充実した時間を過ごしつつ

夏休みには

世界青年の村in東京実施のボランティアで

一週間ほぼ完徹してデータ整理に打ち込み

翌年の青年の村in盛岡では初めて参加者になる。

この時に、企画する方が面白いことを再確認。

人生で最大のモテ期だったのがこの頃

人生唯一手にしたラブレターは

トンガ王国の方よりエアメール

かの国では私は相当スリムだったらしい。

英語力のない私はそのままスルー。

 

友人と学生時代に訪れた北海道に魅せられ

働いてからは一人で道東を一週間ほど回る。

ヒッチハイク有り、相部屋の宿に泊まる。

この頃には旅行に二人で行くと

険悪になるのが定石だったため

一人旅を好むようになった。

 

大学二年の頃から兄に引きずられて

横浜のサンバチームに参加

1番大きな太鼓を叩いていた。

そこで仲間だったのが現在もいる主人。

 

27歳で浅草神社にて白無垢角隠しで挙式

披露宴は母が結婚式の時に着た振袖を着る。

サンバの仲間や友人とのパーティは

一軒家を借り切って行う。

ドレスは姑のハンドメイド

主人の背広は父が制作。

 

そんなこんなでとりあえずここまでー

 

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そういえば今日は主人の誕生日ー

 

 

 

 

筆もじスト小林佳織のプロフィール 生誕〜19才

こちらのブログに来てから

だいぶ経ちました(って数えられない)

お知り合いもだいぶ増えたところなので

改めてプロフィールをあげます。

 

生まれ  1971年5月20日

 東京都文京区小石川  4300gで生まれ母子手帳に巨大児のハンコを押される。しかし同日に1キロ多い子が生まれたそうで、残念がられる。

 

  文教地区と言われる中の商店街。10坪の六軒長屋のため、壁の向こうは隣家という状況。区切られた部屋の存在を知らないまま育つ。

稼業は和裁士の母とテーラーの父による自営業

地域の祭りやボーイスカウト等で人の出入りが多かった。

夏は下田へ海水浴、冬は石打へスキーが恒例行事

年間行事は浅草の物日参り、神田明神三社祭り、湯島天神の祭礼で神輿を担ぐ父に連れられ各所祭礼に出没

 

家族構成  両親 兄二人 母方の祖母プラスα

ある時から常に居候がいた。時に人数は増える。

 

幼少期  体が大きく、兄と自分は同じだと錯覚していたので、頭でっかちのお山の大将。写真に写る時は常に仏頂面

6才よりクラシックバレエを始める。これ以上デブにならないように。11才で月謝と体型の限界を感じ、自らやめる決断をする。

 

小学校

ピアノ、習字を同じ先生に習う。母の恩師の奥さんだったので、いい意味で融通がきく一方で楽譜は読めないまま。

好奇心旺盛で負けず嫌いだったため、何にでも手を出す。四年生以降それが災いしてか、小さなきっかけでクラス中からの無視から始まり、持ち物が全てなくなっていく状況になることやら(学期末に水浸しで出て来た) 上履きは泥まみれで捨てられるなど、絵に描いたような展開を見せるも、やり過ごす。

金管バンドでユーフォニウムトロンボーンを吹く

漫画家志望の仲良しができて、有閑倶楽部を知る。

本物の友情とはなど、暑苦しく考える生意気な小学生。

 

中学校

地域の中学校で小学校からの挽回をしようとするも、結局風評被害もあり、無視、呼び出しなどが断続的に起きる。成績だけが自分を持ち続けるモチベーションとなる。吹奏楽部でクラリネットを始める。

相変わらず「長」と名のつくものを徹底的に避ける三年の時の学級委員は担任の恩着せがましい口ぶりに嫌気がさし、渋々引き受ける。根っこにあるのは目立ったら叩かれるのを防ぐため。

部活と卒業だけを楽しみに過ごす。

 

高校  都立竹早高校

高校に進学し、あまりに風通しのいい人間関係にほっとする。小さないざこざはあっても概ね楽しいスクールライフ。

当時の風物詩  地上げにより高校一年の夏に千葉県へ移住

それまで徒歩15分から通学1時間半へ。この頃から授業での寝落ち率が飛躍的にのび「眠り姫」の称号をもらうが自覚なし。

毎年学校主催のスキー合宿は通信簿を持ったまま出かけ、帰って来てから見せるという暴挙に出る。

吹奏楽部は継続、休みは部活漬け。コンクールは高校1年で失格、次年度は金賞受賞。

ぎりぎりで入学したのでそこからは低空飛行

少し頑張って成績あげたら担任に「頭打ち」と言われたのをきっかけに努力期間終了→浪人決定

 

浪人時代  ここから千葉に根付く生活になる。

初めましての友だちと楽しい浪人ライフ

勉強の仕方を知り、理系から文転する。

新聞学科という響きに惹かれ合格するも、国立にも受かったため、人生初めていつも仲のいい父親と口をきかない時期を過ごす。

1年間の自分の頑張りを認めてもらった上で千葉大学教育学部小学校養成課程へ進学

 

 

あーもう長くなったのでとりあえずここまで

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夏休みに宿題は必要なのか

夏休みの宿題という

壁が立ちはだかったのは

長男が中学生になってから。

小学校のうちは

馬人参(脅しともいう)で期日までに仕上げていましたが

中学にもなると

そろそろ自分でなんとかせい

という気持ちになり、任せてみましたよ。

その結果

8月31日に

読書感想文 自由研究 人権作文

を残すという荒技をやってくれましたのです。

 

でね、いうじゃないですか。

痛い目見れば次からやるよー

って。

あれは嘘です(当社比)

 

その証拠に

次の年も読書感想文と人権作文は残してましたよ

「去年より成長したでしょ」ってね。

 

夏休みの宿題にキリキリしている方へ

キリキリしても疲れるだけです。

宿題をやらない我が子を見てイライラするのは

自分にとっての宿題(姿勢も含め)になってるから。

任せちゃいましょう!

とは断言しません。

やらない子はやらないですもの。

まずはお母さん自身がどうしたいか。

「期日までに出す」ことを目標にするのか

「自分でなんとかやり遂げる」ことを目標にするのか

どちらにせよお母さん自身の気持ちを子どもに伝えましょう。

例えば

「お母さんは決まったことはやらなきゃと思っているから、あなたの宿題を仕上げることを目標にします。」

「自分でなんとかするまで何も言わないので、頑張ってね」とかね。

前者であれば

サポートする必要が出てくるでしょうし

後者であれば相当の精神的プレッシャーを自分に感じることになります。

任せるって決めたら言えないでしょう?

それでも言わなきゃやらないじゃないと思ったそこのあなた。

だったら

自分で痛い目にあえばいいなんていいこと言わずに

一緒になって困ったねーって言ってあげればいいんです。

親ですから、明らかに間に合わない状態を見過ごすのはこちらもきついもんです(経験者)

 

その子によって響く言葉、やり方は違います。

お母さんだって初めて取り組む子どもとの夏休み

あれこれ試しながら

やって行くしか道はないのかもしれません。

 

って事は

夏休みの宿題は

親の経験値を上げるために必要なのかもね。

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中学生の日記は絵日記だったんですかね。

今見てびっくりのすけ

この後頑張ってもらいましょう