筆もじスト 小林佳織 かおりんのブログ

あなたや写真から感じた事が私の手を躍らせます。ことばを書くのも子どもたちとあそぶのも私にとって大事なこと。筆を通して表れることばはただ一つのもの。

人は反応があれば嬉しいものです

3月いっぱい

大竹ひろこさんのブロトレ部に参加してました。

毎日15分で書き上げてアップする

がお約束。

 

そこから一ヶ月

なんとかほぼ毎日書けました。

1日だけ寝落ちしてしまったのが悔やまれるけど。

 

なんで続いたのかなって考えたら

ひろこ部長は

上がったブログに必ずレスポンスを下さる。

毎日毎日ですよ!

期間限定とはいえ、二ヶ月、およそ30本。

 

やはり

読んでくれてる実感、

というのは嬉しい事です。

自分のやった事に

反応があるというシンプルなことを

気づかせてもらいました。

私もそこを忘れずにしないとね。

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むし歯で気づかせてもらえた事

文章プロデューサーである大竹ひろこさんに

会ってみたい一心で出かけた文章講座。

そこでお題として取り組んだ

「いいとこ探し」

 

相手のいいところを

ひたすら見つけるんです。

でね、私のことも

見つめてもらいました。

10個以上あげられた中で

一番予想外だったのが

「むし歯!」

 

だってむし歯って

悪の象徴

手抜きの象徴

自己管理能力の欠如

などなど

ダメな項目の筆頭です。

でもね、

今日それを見つけてくださった方は

そこから

「自分のことを後回し」

「自分のことは我慢する」

「気にするけど大丈夫と思う」

といったところまで

深掘りしてくださいました。

 

驚くでしょ?

もちろん、いいことなんかじゃないですよ、

むし歯なんて。

でも、表に見えるそのことから

そこに至るところにまで

想いをはせることができる事に

感動したのです。

 

ご本人は

「変なこと言ってしまって」と

恐縮されてましたが

そんな事ないんです。

逆に

自分の事を構うことを放棄していた

という事実を

そのままに受け止めてもらえたような

そんな気持ちでいっぱいなのでした。

 

 

なんかね

今日のことで

ようやく一歩自分に向き合えそうですよ。

 

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あるがままって綺麗にまとまらないよね

人のために動く事を善として生きてきて

人から望まれる事を

自分のパワーにしていた場合

 

人じゃない

自分のために何がしたいのか?

を問われることは

自分のパワーの出力方法を

問い直されることになる。

 

自分の中に

「自分のために」湧き上がる気持ち

「人のため」に湧き上がる気持ち

両方がせめぎ合ってる状態が続いてる。

どちらかに決着つけなきゃって

思い込んでたけど

なんだかそれも時間の無駄遣いな

気がしてきた。

 

あれもこれも

両方あって

どっちでもいいんだなあ。

それを指摘する私も

それを喜ぶ私も

どーでもいいやと思ってる私も。

全部あっての私なんだって事に

なかなか腹を落とせなくて

ジタバタ中

 

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こんな風に

在るようになれたらどんなにいいだろう

 

 

 

かおりん亭 倶楽部を始めたわけ

1 ご飯を作るのが好き

2 「 食べたーい!」と言ってくれる方がたくさんいた

3 自分からアクションを起こす仕組みを作ってみたい

 

理由は大きくいってこの三つ。

きっかけは

食べに行きたい!と言ってくれた

お友達が二ヶ月前から予定を立てて

実際に遠方まで来てくれた事

そしてそのあとも

ブログで絶賛、オススメしてくれました

その時のブログはこちら

ステキなおもてなしごはん | 下北沢の隠れ家サロン うるツヤ&リフトアップならお任せ!「セミュー」

楽しきお友達宅訪問!!は「ステキなおもてなしごはん」 | 40代からの「リアルシンデレラストーリー」いけけいの読んだら「福」が舞い降りる!

 

同時に

たくさんの「来たい!」と言う人の中から

「そちらの美術館に行きたいから、

    その時に行きたい」と

直接お声かけをいただきました。

それなら昔の掲示板のように

誰もが自由に、声を上げて

集えるような仕組みになったらいいな

と思ったのです。

 

私にとって

3つ目の理由が今までと違うところ。

大抵のこういったケースは

主催者が企画していきます。

でも私は

「自分から声を上げる」

事に重きを置きたかった。

私は主に子どもたちと関わることが多いのですが

年々

「自分のやりたいこと、やってほしい事を表現する」ことが難しくなってるのを感じます。

 

でもそれは大人でも同じじゃないか。

忖度、空気を読む、気を回す。

そんな事に気をとられるあまり

「自分がどうしたいのか」を感じる熱量が

少なくなってるような

そんな気がしたのです。

もちろんこれは私の課題でもあるんですけどね。

 

だからあえての

リクエスト開催です。

FBグループ内で声を上げてもらうスタイル。

はてさてどうなるかは

お楽しみ。

かおりん亭 倶楽部」

興味ある方は

直接お問い合わせください。

喜んでご招待します。

決して勝手にメンバーには入れません。

ご安心を

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#かさこ撮影

 

 

 

 

 

 

ごめんなさいをただの合図にしないために

子どもと子どもが関われば

多かれ少なかれ起きるトラブル

そして聞こえてくる

「ごめんなさい」

「いーよー」

これが合図になってることがあります。

歳を重ねてくれば

「ごめんねしたのに許してくれないー。

     あの子意地悪ー」

なんてことも。

 

子どもは

大人の反応がいいやり方を

選んでいくんです。

年齢が小さければ小さいほど

(大人から見た)トラブルを

正確に認識はできてません。

ただ

合図としての

大人が喜ぶ「ごめんね」をいうだけ。

その時の気持ちが解消されていないから

何も変わりません。

言った、言わない

の話になるだけです。

 

ちょっとした揉め事が起きた時は

子どもが関わり方を学ぶ最高のチャンスです。

もめた状況をお互い事実として見てから

まずは大人が気持ちの交通整理を

してあげてみてください。

あくまでも子どもの気持ちを相手に伝えるだけ。

 

最初に事実を見ただけでも

まずかったなー

なんて表情になる子はいます。

それだけで気持ちは十分伝わってます。

あとは言語化するお手伝いをしてあげる。

その繰り返しをしていって初めて

ぽろっと気持ちと一緒に出てくるんです。

 

もちろん

悪い事をしたら謝るのは当たり前。

でも必要なのは筋道。

 

いずれ具体例を挙げてみますね。

 

わかりやすい記事があったので

参考にしてみてください。

https://www.lifehacker.jp/2018/03/162886what-to-say-to-little-kids-instead-of-say-sorry.html

 

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#かさこ撮影

 

 

 

子どもが泣く以外のやり方を覚えるには

0歳から2歳ぐらいまでの子どもが泣くのは

不快だから。

その理由はこれ

 

お腹が空いた

眠い

痛い

 

以上です。

 

それもそれぞれを

明確に認識して

不快を感じてるわけではありません。

ただ  不快

ってだけ。

そこを汲み取って、言語化して

意識化していくのは

周りの大人の言葉かけです。

 

例えば

子どもが転びます

→周りの大人が大きな声をあげます

→驚いて泣きます=不快

→きゃあ!痛いでしょう?

  orあーかわいそう、痛いよねーなどなど

 

はい

ここで子どもは

転ぶ→泣く=痛い事

という認識をしていきます。

 

試しに

転んだ時に

落ち着いて

「転んじゃったね」と言ってみてください。

きょとんとして

今の行動が「転ぶ」行為と認識し

「手をついたから顔打たなかったね」

と言えば

そのやり方を覚えます。

そして泣いて訴えなくても大丈夫

という安心感を得ます。

試しにやってみてください。

 

子どもが泣いた時には

三つの理由を解決すれば泣き止みます。

お試しを。

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#かさこ撮影

 

2歳ぐらいまでにこうしたやり取りをしていれば

泣いて大人を呼ぶことをしなくなります(当社比)

 

 

 

 

 

 

 

 

「子ども向け」だからこそ本質をつかないとといけません。

絵本や舞台作品などで

「子ども向け」

「何歳から」等ありますよね?

 

実際

年齢(発達)にあったものであることは必要です。

例えば絵本の場合

単純なものと

お話の綾があるもの

つまり因果関係があるもの

では当然理解できる年齢は違って来ます。

舞台作品も然り。

 

ただ、ただですね

子ども向けだからといって

子どもが好きそうなワードを並べ

子どもが好きそうな絵柄を並べればいいのか

といったら

それは違う。

断固として違うんです。

 

いわゆるキャラクターものを出して

内容も一歩間違えれば

教育画劇のような(古い紙芝居)

いい子の見本を示すようなもの。

言ってみれば

絵柄で子どもをおびき寄せて

親の好きそうな内容をちらつかせる類です。

 

これね

作品として面白いですか?

話として成り立ってますか?

ご都合主義にまみれてますよね?

 

子どもは本質を見抜いています。

どんな地味な絵柄であろうと

内容が(大人から見たら)繰り返しであろうと

子どもはそこの繰り返しの中に

安心して楽しめる実感を持ち

シンプルな絵の余白の中に

想像の世界を広げていってるのです。

 

本質をつくという点では

大人も子どもも関係ないのです。

心を揺さぶられるのは

本物だからなんです。

 

子ども相手だからと

媚びていたり

見くびっていたり

おもねっていたら

バレますよ

あっという間に。

 

子どもに関わる大人へ

なめるなよ、子どもを。

 

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#kozo撮影